
デパートでの出来事
辺りがすっかり暗くなってから美奈代が家に帰ると、母の佐々木夫人が座敷で、着物をいろいろ引き出して見ているところだった。
「あら、サキちゃん、お帰り。
ねえ、どうかしら、どれがいいと思う?」
「どこに着ていくの?」
「ほら、木曜日が個展の初日じゃない?たくさん、お友達が来るけど、それで悩んじゃってるのよ。」
「こっちのは?」
「うん、季節からいえばこれでいいんだけど、これね、この間の創立記念パーティーのときに着ちゃったのよ。
で、そのときに呼んだ人も木曜日に来るかも知れないから、いつも同じ着物というのもねぇ。」
「じゃあ、これは?」
「帯がないのよ。
この間からこれに合う帯を探してるんだけどねぇ。
この前は冬だったから良かったんだけど、この季節に雁なんて、変じゃない?」
「ダメ。
とてもつきあってられない。
だって、母さん着物何着持っているの?今から選んでたらとても間に合わないよ。」
「だから、あなたは祐二さんに似て短気だって言われるのよ。」
話題を変えた方がいい。
「母さん、『煙突屋』って知ってる?」美奈代はバッグの紐を指にクルクルかけながら、聞いた。
「なあに?」
「『煙突屋』って知ってるって聞いたの。」
返事がないので、まだ聞こえなかったかと思い顔を上げてみると、そこには母の呆然とした顔があった。
美奈代はちょっと驚いた。
「どうしたの、母さん?」
「サキちゃん、それ、どっかで聞いたの?」佐々木夫人の声が心なしか震えていた。
「いや、あのね。」
美奈代は、デパートでの出来事を話した。
「あら、そうだったの。」
娘の話を聞き終わって佐々木夫人は小さくうなずいた。
「母さん、知ってるの、その会社?」
と問う美奈代に、
「知りませんよ。」
と夫人は立ち上がって、こちらに背を向けて、また着物を手に取った。
「嘘、さっき驚いてたじゃない。」
「ママの聞き違いだったみたい。」
「何と聞き違えたのよ。」
「何だっていいでしょ、もう、邪魔だから行って。」
佐々木夫人は背を向けたまま言った。
絶対おかしい。
美奈代はそう思いながら座敷を出て、自分の部屋に向かった。