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大人しそうな若い男

抱かれていたときの私は、彼があのときの痴漢だということを確信していた。

 

今の私は……。

 

もう、わからなくなっていた。

 

二度と、名刺の住所のマンションを訪ねなければ、それでいいんだ。

 

そして、今日のことを忘れてしまおう。

 

二枚の名刺も捨てて、あの痴漢のことも忘れよう。

 

そうよ、仕事を辞めてもいいかもしれない。

 

そろそろ子供を作ってもいい年齢なんだし、一度くらい専業主婦をやってみるのもいい。

 

ホームに滑り込んできた電車に乗り込む。

 

今日は、いつもより、少し時間が遅いせいで、車内がだいぶ混み合っている。

 

人並みに押されて辿りついた場所に立って、偶然空いていたつり革に掴まることができた。

 

窓ガラスに映った自分を、じっと見つめる。

 

してしまったことを後悔しているわけじゃない。

 

疑問が解けないままになってしまうのが、心残りなだけだ。

 

何年か経てば、今日のことも、色褪せた思い出になるだろう。

 

仕事を辞めて、混んだ電車に乗るのもやめて、これからはのんびり人生を楽しむことにしよう。

 

線路のカーブで揺れた身体が元の位置に戻るとき、きわめてさりげなく偶然のように、その手がヒップに触ってきた。

 

スカートの上から、お尻の丸みを確かめるように手のひらを動かされると、疲れた筋肉を揉みほぐされているようで気持ちがいい。

 

まさか……?

 

顔を上げて窓ガラスの中に後藤良平の顔を探す。

 

……なかった。

 

私のななめ後ろに立っているのは背の高い若い男だった。

 

そのあいだにも、休みなく私のヒップは揉みしだかれている。

 

スカートの中に手を入れようともしない、その手の動きには、いやらしい意図が感じられなくて、ただ心地よい。

 

エステで受けるマッサージのようだと思う。

 

今度こそ、私は確信した。

 

これは、間違いなく、あのときの痴漢と同じだ。

 

そのとき、窓ガラス越しに、後ろの若い男と目が合った。

 

大人しそうな若い男、としか見えなかったその男は、私と視線が合うとニッコリ微笑んだ。

 

意外と幼い感じのかわいい笑顔を見て、ハッとする。

 

「西脇さん」

 

耳元で囁く声が、低く柔らかく、心の中に沁み込んでくる。

 

うっかり飲み込んで喉に刺さったままになっていた魚の小骨が取れたときのように、私の疑問はすっかり解けて、後ろの男に身をゆだねた。

 

私の名字を知っている、その男は、後藤良平のマンションを訪ねたときに、初めに応対に出た人物だったのだ。